2006年10月14日

66.小僧の神様・城の埼にて

志賀直哉(1883〜1971)・著

「小僧の神様」…秤屋の店に奉公している仙吉は、電車代で浮かしてつくったこづかいを元にあこがれの寿司(海苔巻)を一つ注文したが、料金が足らず、バツの悪い思いをして店を去った。

それを見ていた、若い貴族院議員のAは、不憫に思い、なんとかその小僧(仙吉)に寿司を腹いっぱい食べさせてやりたいものだと考えた。

ひょんなことから、Aは仙吉を寿司やに誘い出すことができ、そして、「私は先に帰るから、充分食べておくれ」と言って、その場を去っていった。

満腹になった小僧は考えた。なぜAは自分が寿司屋で恥をかいたことや、番頭たちが旨い寿司やの話をしていたことを知っていたのだろう。その上、自分の心の中を見透かしているように寿司をおごってくれた。まるで人間業ではないようだ…と。

それ以来、悲しいこと、苦しい時に必ず、Aを思った。
Aは、小僧の心の中では神様として映った。


「城の埼にて」…電車にはねられてケガをした、作者の但馬城の埼温泉での養生生活を描いたもの。

静かな自然の中で見た、蜂、鼠、家鴨、蜥蜴、イモリ等の小動物の生死と自分のそれとを重ね合わせ、生と死を淡々と冷静に見据えている作者の心境を表した作品。


直哉は「小説の神様」と言われているように「白樺派」を代表する作家として有名で、他にも「暗夜行路」「和解」などのよく知られている作品を残し、88歳で天寿をまっとうした。

彼の作風は、自らの感情や生理に即して、簡潔に事物を描写し、人の心の深淵を露出させるというものであり、彼の人間性そのものでもあった。

また、「男は仕事、女は生むこと」という家夫長的な文学的傾向が強かったため、太宰治や織田作之助らの作家からの反発を買った。

話は変わるが、この新潮文庫の短編集の中に、「好人物の夫婦」という小説がある。女中の妊娠を巡っての夫婦の心理的なやりとりを描いたものであるが、これを読み進めているとき、歌謡曲でサダマサシの「関白宣言」の歌詞が頭に浮かんだ。

「俺は浮気はしない。多分しないと思う。しないんじゃないかな。…」という部分である。歌詞の内容と小説の展開は異なるが、夫婦としての感受性の違いというものと許しというのが両者のなかで融合しているところに関心が及んだ。サダマサシも志賀文学の影響を強く受けているのであろうか。

広島県尾道市に「志賀直哉旧居(三軒長屋)」がある。
ここで直哉は、「時任謙作」という小説を書きあげようとしたが、中耳炎のため5ヶ月でこの地を去った。しかし、ここでの思索が後の「暗夜行路」の草稿となった。(JR尾道駅から徒歩15分、林芙美子の文学記念室もある)

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posted by 岡山太郎 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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志賀直哉「好人物の夫婦」と、さだまさし「関白宣言」
Excerpt: 類似性を見つけて楽しもうのコーナーです。 本棚から、志賀直哉の「城の崎にて」(標
Weblog: 主張
Tracked: 2011-12-04 06:11
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